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2020年4月の“ギフト”

「 絶えず祈りなさい 」 Ⅰテサロニケ5:17       岡部 知幸子 姉 

 

教会に行き始めた頃、祈っていますは、クリスチャンの挨拶だと、思っていた頃がありました。

手紙の最後には、必ず、祈りもしないのに、祈っていますとあいさつ代わりに書きました。

先日、亡くなられた、泉北教会の早川寿美子姉も、お会いすると必ず「祈っているからね」と励ましてくださいました。信仰のしの字も知らない者が、「私も祈っています。」と、挨拶を返していました。

ある日、早川姉からご主人の容体がよくないとの、電話があり当時、奈良に住んでいましたが、心配のあまり連絡もせず、すぐに和歌山の病院に駆けつけました。病室に入っていくと早川姉が、窓の外をじっと見ている様子でした。私の声に驚いて何も言わず、しばらくの間私の顔を、じっと見つめていました。やはり連絡もせず、急に来たのが悪かったのかと反省している私に、姉妹は「今あなたの事を祈っていたのよ。」と手を取って下さりご主人のそばで、私のために祈ってくださいました。

ご主人が、大変な中にあって祈ってくださっていた姉妹。その時から、祈りは、挨拶ではなくなりました。心の通った温かい励ましと共に、その人の事を思うとりなしの祈りを知りました。後、わずか50日で100歳になられた早川姉妹を思う時、お会いできない寂しさと共にもう祈ってもらえない悲しみがわいてきます。

 

最近の事です。集会でお会いした時、「博ちゃんは(長男の事を今でもこう呼んでいました)何で結婚しないの?他の人の祈りは、聞かれているのに。」とおっしゃつていました。親も祈らない事を祈って下さっていると初めて知りました。私が26歳の時、神様が初めて会わせて下さったクリスチャン早川寿美子さん。クリスチャン早川姉妹は、実に、祈りの人でした。誰も知らないところで、静かに神さまの前でとりなしの祈りをすること。早川姉妹から、私へのメッセージです。そして、イエス様は、今もこの私たちのために、とりなしの祈りをしてくださっています。アーメン

 

「しかし、わたしはあなたのために信仰がなくならないように祈った。」

(ルカによる福音書22章32節)

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