top of page

2020年2月の“ギフト”

ヨブ記における苦難         《故伊藤正春兄(津教会会員・神学生)のメッセージから》

 

現代社会の苦難

 世の中には色々な苦難の経験がある。仕事・財産・健康・愛する人を亡くす経験があり、暴力、不安、挫折、孤独の経験がある。しかし、人間は意味があれば、苦難に耐える事が出来る。現代の問題を作り出している理由として、次の様な事が考えられる。第一に社会の複雑化、価値観の多様化により、何が正しい事か分らず、自分を見失ってしまい易い状況にいる事。第二に社会の価値観が能力主義傾向を生み、他の人間での代替可能、非人間化をもたらしている。第三に主体性、自己実現が強調され、個人主義に走り、精神的絆が薄れ、親子関係の危機、離婚の増加、老人の孤独など、人間関係の希薄化が広がった。

 その結果、溢れる情報社会の中で、人々は欲望を満たす事を求めて人生の真の目的を見失い、物事の判断基準を失っている。弱さや痛みに対して社会全体が鈍感になって来ている。人間関係に傷つき生きる事に疲れています。その結果、不登校、引き篭もり、児童虐待、家庭内暴力、うつ病患者、行方不明者、自殺者が増加している。苦難と悪の世に絶望し生きる力を失った人は多い。日本で、自殺者は3万人を超え、離婚も2001年28万件を超えている。その上、人間にはどうする事も出来ない苦難もある。突然の事故や病気で、障害が残ることもある。地震、台風、大水等の自然災害がある。例え災害に遭わなくても、病気や愛する人、肉親との別れもあります。

 

仏教における苦難

 苦難の問題にこそ、まさに宗教の根源的なテーマがある。仏陀は苦悩という事実家ら彼の哲学を出発作せている。出家の動機も如何にして人間は生老病死の四苦から脱し得るかにあった。ブッダは自らの教えを「四種の真理」(四諦)と呼ぶものに要約した。第一は、人生は何事も思い道理にはならず、苦しみは避けられない。第二は、苦しみは物欲や所有欲、渇望などによって生じるという真理。第三は、苦は欲望からの解放によってのみ止滅させる事が出来るという真理。第四は、苦の止滅はブッダの唱える八正道によって達成出来るという真理である。即ち八正道とは、正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい心くばり、正しい精神統一を教えている。

 ブッダは、人は輪廻を通して幾つもの人生を生きると信じていたが、人間に不滅の魂が存在するとは考えていなかった。むしろ逆に、人生は苦しみの連続でしかなく、人が望む事の出来る理想の境地は、この世に再び生まれて来る事から解放される事だと考えた。そのような状態が「ニルヴァーナ(涅槃)」と呼ばれる。ニルヴァーナとは最高の悟りと至福の境地の事を指し、そこに到達した後、個々の存在は全て終わりを迎える。ブッタは、永遠の宇宙的な自我が存在する事も考えなかった。つまり創造者としての神の存在を信じていなかった。悪事や苦しみが世の中に蔓延する以上、神が存在するとは考えられなかったのである。しかし、仏教は輪廻転生を信じているので宗教と見做されている。

 ブッタは「悟り」(人間が輪廻から解放されるための究極の真理を発見すること)を開いたと言われている。そこには『息子を持つ者は息子の事で心配するし、牛を持つ者は牛の事で心配する。人は執着して心配する。執着の無い者には心配が無い』『交際すれば愛情が起こる。愛情に伴って、この様に苦悩が生じる。困惑が愛情から起こることを考慮し、犀の角の様に、ただ一人で行動せよ』と、無執着の功徳が説かれ、四諦八正道、無明と輪廻の相関が明らかにされ、縁起・空の原理が提起されている。

 平安時代の源信は「霊肉の分離と霊魂の浄土往生という考えを主張した」

 鎌倉時代の親鸞・道元・日蓮は心のあり方について洞察を巡らした。「浄土教は、苦しみに満ちた現世での道徳的実践、つまり阿弥陀仏による救いを説いている。浄土真宗は『悪人正機』を強調し、悪人こそ阿弥陀仏に救われるとし、末世の衆生は、自分の力によっては修行の完成は不可能ゆえ、ひたすら純一無雑なる信仰をもって仏にすがるべしと説く」。

bottom of page