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信徒修養会に導かれて

 

「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」    フィリピの信徒への手紙 4章5節~7節

 

 去る、9月16日~17日に開催された信徒修養会に、小林明子姉と共に参加しました。二人共、家族のこと、仕事のことを心配し参加をあきらめていましたが、いよいよ近づくにつれダメで元々と家族に相談しましたら、あっさりと「行って来たらいいやんか」と賛成され、かえって面食らってしまいました。

 

 森林の中の、六甲山YMCAキャンプ場、いよいよ修養会が始まりました。オリエンテーション、キャンプファイヤーと『主にあるまじわり』の、テーマに沿って楽しいひと時を分かち合いました。

二日目は、ルーテル聖書学院前院長の、多久和律先生による『クリスチャン生活』との題目で講演が始まりました。先生は、祈りの大切さを、時にユーモワを交えながら、聖書を、ひもとき丁寧にわかりやすく、お話をしてくださいました。

 冒頭の聖句は、何度も繰り返し読み、よく知っているみ言葉なのに、(主はすぐ近くにおられます)と、今までに、何度も読まれたはずのみ言葉が今、初めて聞いたように感じられ先生の、語られる言葉に釘付けになりました。(小さな事柄でも、大きな事柄でも私達の、近くにおられる主に、いつもどのような時でも、祈れば私たちの思いをこえた、人知を超えた、そびえたつ神の平安が与えられる)静かに、恵の時が過ぎゆき、分科会、『老いを生きる』と題して橋本先生ご夫妻を、囲んで、クリスチャンとして「老い」をどう生きるかとの、話し合いの時を持ちました。

 橋本先生は、老いの時こそ、周囲が何をしてくれるかではなく、周囲に何を残せるかを考える時である。主に、あって信仰者の「老い」こそが人生のゴールデン・ドロップであると結ばれました。

 すべてのプログラムが閉じられ、六甲山から、現実の生活の場へと車は、下ってきました。どのような試練が、待ち受けていようとも(主はすぐ近くにおられま          ハレルヤ !

                                   岡部 知幸子  姉

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