「人生の日を正しく数える事」

 

 以前ある本で読んだのですが、拘置所や刑務所などに入っている人たちを対象に、「読み、書き」つまり国語と、「そろばん」つまり算数、どちらが得意かと言う調査を行ったことがあるそうです。結果は、どちらかと言うと、「読み、書き」つまり国語の方が、「そろばん」つまり算数よりも得意ということが明らかになったそうです。それを分析すると「そろばん」つまり算数が弱い、犯罪者はとかく計算に弱い傾向にあるということになったようです。そこである専門家は、それは単なる数字上の計算が弱いというより、むしろ人生の計算における弱さをも意味しているのではないか、その計算の弱さが無謀としか思えない犯罪に走らせているのではないかと指摘していました。

 

 大変興味深いリサーチであると思いますが、旧約聖書の創世記に登場するエサウという人がいます。彼がしたこともとんでもない計算違いをした人と言えます。彼は立った「一杯の食べ物」と引き換えに、自分のものであった長子の権利を売ったのです。後になって、さすがのエサウもなんという損な取引をしたんだろうと、地団太を踏んで悔しがったのですが、時既に遅し。取り返しの付かない計算違いをしてしまったのです。

 

 そんなエサウに比べて、実に人生の計算に強かった人がいます。それは、キリスト教史上最大の伝道者と言われたパウロと言う人です。彼が書いた手紙の中で「 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」(ピリピ3:7,8)

ここに記されている「キリストのゆえに、損と思う」と言う言葉を英語で見ると、「I  counted  for  Christ」となっています。直訳すれば「キリストのために計算した」と言うことになります。パウロはどっちが得かよく考え、キリストをとる方が、はるかに得だと計算したのです。なぜならば、この世のどんな楽しみ、喜び、宝よりも、はるかに優れた一切が、キリストのうちにこそあることをはっきりと知ることが出来たのです。

 

 かつてイエス・キリストは「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マルコ8:36)と言われました。ここで言う命とはイエス・キリストによって与えられる永遠のいのちのことです。全世界と永遠のいのち、どちらが大切かを決めるのは、私たちの計算によるのです。

「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」

                           (詩編90:12)

                                                                  牧師  三ヶ嶋 徹

近畿福音ルーテル津教会
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