2018年11月4日  「イエスこそ神に至る道」  ヨハネ14:1~14 

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」こう言って彼らの心の動転を防がれます。さらにイエス様は言われます。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」このお言葉は弟子たちにとって、今日のキリスト者にとって大きな励ましでしょう。本日は聖霊降臨後第24主日です。また同時に全聖徒の日、召天者記念礼拝です。イエス様が使徒言行録1章9節以降のところで天に上げられて行きます。そして、「天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒1:11)。それを受けて初代教会の信徒たちの祈りの中心は「マラナ・タ(主よ、来てください)」(Ⅰコリント16:22)でした。再臨のキリスト信仰です。さらに「こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」イエスは言われます。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」これまでに多くの宗教家や哲学者たちも、道について、真理について語ってきたことでしょう。しかし自らを指して「道であり、真理であり、命である」と言われたのはイエス様です。主は道について、真理について、教える為にお出でになったのではありません。ご自身を世の人々にお示しになるために来られたのです。父なる神へ通じる道は、主イエス・キリストのみなのです。何かの頭も信心次第ではないのです。使徒言行録でペトロが力強く語っています。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべきなは、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒4:12)ワンウェイ、キリストという道のみなのです。アーメン              牧師   三ヶ嶋 徹

 

 

2018年11月11日  「神への愛と隣人への愛」 マルコ12:28~34 

 イエス様が「愛」について発言なされたことは、私たちの予想を超えて少ないことを感じます。私たちが礼拝式分で、「愛の戒め」として読み上げている箇所ですが、当時は律法の戒めとして613ものがありました。私たちは、聖書をうっかり読みますと、イエス様が613の中から、申命記6章とレビ記19章の2つの御言葉を選んだように思うかも知れませんが、「何が重要」と尋ねた問いに2番目の答えに「同じように重要」という言葉、「同価値・同等」という意味により「隣人を愛すること」が「神を愛すること」と同一線上に分けることができないものとしてイエス様は語られました。この2つの御言葉が2つで1つのセットになっているのです。本当に神を愛することは、隣人を愛することであり、そして本当に隣人を愛することは神を愛することなのです。このことは、律法学者たちにとっては、思いもかけない展開であったでしょう。さて、イエス様は律法学者に対して「あなたは神の国から遠くない」と言われました。微妙な言葉です。方向性は間違ってはいないけれども神の国には入れないのです。なぜなら、彼は律法を守れていると思っているからです。律法学者に必要なのは「主よ。憐れんでください。律法を全うできない罪人である私を憐れんでください」という、この一歩が必要でした。  牧師  近藤 幸一

 

 

2018年11月18日   「真実の神に従うルツ」 ルツ記1:1~18 

<時代背景> BC1200~1050年頃

 ヨシュアが死んだ後、カナンの地に残ったイスラエルの部族が、ばらばらで、定着を求めて周囲のカナン人と戦っていた動乱の時代。(ボアズから四代目にダビデが生まれているので、ほぼBC1150年頃)と考えられます。ナオミの説得した理由は、主としてこの世的な幸福に関係していますが、ルツが固執したものはナオミとの人格関係と、この地上の幸福を超越した次元における決断と言えます。約10年間のナオミとの生活の間にイスラエル人であるナオミの信仰する神への信頼と信仰が芽生えている。ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き、お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。」(ルツ1:16)。ナオミの説得した理由は、主としてこの世的な幸福に関係しているが、ルツが固執したものは、ナオミとの人格関係と、この地上の幸福を超越した次元における主教的決断と言える。約10年間のナオミの生活の間に、イスラエル人であるナオミの信仰する神への信頼と信仰が芽生えている。                            牧師   三ケ嶋 徹

 

 

 

2018年11月25日 「神の御言葉は滅びない」

 近年多くの自然災害が起こっています。そのため「世の終わりは近いのでしょうか?」との質問を受けます。キリスト者はイエス様の言葉をよく覚えています。世の終わりは必ず来る。しかしそれがいつ起こるのかはわからない。だから備えていなさい。ですからキリスト者が、「いよいよその時か」と感じることは健全と言えるでしょう。初代教会においては、世の終わりはすぐに来ると考えられていましたが、イエス様は、すぐには来ないと言われ、使徒たちも「落ち着いて生活するように」と勧めました。イエス様は聖書に預言されているとおりこの世に来られました。「私は世を裁くためではなく、世を救うために来た。」さらにイエス様は「再び来る」と言われました。その時には、この世のものはすべて滅び去る。私たちは、何に信頼して生きるでしょうか?世の終わりには、家も財産も役に立ちません。しかしイエス様は言われました。「わたしの言葉は決して滅びない」。福音の約束は決して滅びないのです。あの十字架の上で成し遂げてくださった御業とその救いの約束は、決して滅びない。ここにこそ私たちは信頼することができます。

 このことは個人的終末においても同様です。私のこの世での命の終わりは必ず来る。その時にはあらゆるものを手放して、死に備える。しかし決して滅びることのない平安をいただくことができる。救い主イエス様の約束の御言葉。私たちは、ここに信頼することができる。なんという恵みでしょうか。

 イエス様は再臨の時、裁き主として来られます。イエス様はあなたを命を懸けて愛してくださった牧者です。この方を待ち望みましょう。                 牧師  栗﨑 学

近畿福音ルーテル津教会
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