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3月の”ギフト”
神はノアと彼の息子たちに言われた
「主イエス・キリストの復活の朝を迎える」ヨハネ20:1~18

 エルサレムの、イエス様の墓と伝えられる所には、立派な教会が建てられています。この教会は英語でホーリー・セパルカー、つまり「聖なる墓」と呼ばれています。このため、日本語では聖墳墓教会と呼んでいます。しかしギリシャ正教会は、この教会を「アナスタシア」つまりギリシャ語で「復活」と呼んでいます。同じ教会を一方では墓と呼び、一方では復活と呼んでいるのは、いかにも興味深いことではないでしょうか。これは、イエス様の十字架の死と復活とが切り離すことが出来ないと言うことを示していると言えるでしょう。イエス様の生涯は、決して死で終わらなかった。イエス様の墓は死の場所であると同時に、復活の場所でもありました。そして、イエス様の復活が初代教会を生み出す大きな力となったのです。

 死が死で終わらず、死は眠りにすぎないと言われたお方が十字架上で死んだ。ラザロを死からよみがえらせることのできたお方が死んだのです。恐れと失望の中で弟子たちはおじ惑い、イエス様を捕縛した手が今度は自分たちに向けられるのではないか、と息を殺していたのです。しかし、十字架上で「成し遂げられた」と宣言されたイエス様は、三日目に死人の中から復活し、弟子たちにご自分を現されます。そして人類最大の敵である罪と死に対して勝利の宣言をされます。復活の主に出会い、ようやくこの出来事の全てを悟った弟子たちは、新しい喜びに満たされ、この福音の証人として立ち上がっていくのです。

 週の初めの日、すなわち今日の日曜日の朝早く、マグダラのマリヤは夜明け前に墓に行きました。このマリヤはガリラヤ湖西岸の町マグダラの出身で、かつてイエス様に七つの悪霊を追い出してもらった女性です。彼女は終始イエス様に付き従っていました。このことから、イエス様によって悪霊から救われたことが彼女の生涯にどのような意味を持つようになったかを、十分に知ることが出来るでしょう。

 安息日は土曜日の日没で終わっていますが、その夜は誰も墓には行っていません。みな夜明けを待っていました。そして次の日の朝、婦人たちは墓に出かけました。弟子たちが一人も行かないうちになのです。静かで目立ちませんが、しかし力強い婦人たちの姿がここにあります。イエス様の宣教の頂点と言える十字架と復活の生きた証言者として彼女たちは立っています。見事としか言いようがありません。彼女たちの忍耐強くひたむきな信仰の姿勢に私たちも見習う点があるといえます。

 マグダラのマリヤが墓に来ると、墓石はすでに取り除かれていました。誰かが主の遺体を奪っていったと思ったマリヤはペトロと主の愛弟子のもとに走り、事の次第を告げたのです。知らせを聞いたペトロと愛弟子は墓に走って行き、先に付いた愛弟子は墓がからであることを確認しました。中にこそ入らなかったのですが、入り口からのぞき込んで亜麻布のあることを確かめました。愛弟子もこれを見て主の復活を信じたのです。彼はからの墓を見て、神の力によってイエス様の復活を信じたのです。ここに見ないで信じる信仰が証しされているのではないでしょうか。      

 

                        牧師  三ヶ嶋 徹

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