「私たちはどこから来て、どこへ行くのでしょうか?」

 

                          牧師 三ヶ嶋 徹

 

新しい年が始まり、すでに1カ月が経ちました。皆様にはいかがお過ごしでしょうか?「一年の計は元旦にあり」という言葉がありますが、それぞれに、今年こそはという

計画と決意をもって、新年を迎えられたことでしょう。

ところで、京都の三十三間堂では、通し矢という行事が年頭に行われます。今年の目的へ、ひいては人生の目的へ、ズバリ命中させるという願いをこめて矢を射るのでしょう。ところが、結構あちこちに矢が飛び、なかなか命中させるのも至難の業のようです。それでも的を見事に射抜くということが出来れば、実に胸のすくような爽快感を持つが出来るでしょうね。

 

さて、顧みて私たちの人生は本当に的を射抜いた歩みをしているだろうかと考えてみる必要があるのではないでしょうか。新約聖書を見ると、「罪」という言葉が良く出てきます。ギリシャ語で「ハマルティア」と言います。元来この言葉は「的を外す」という意味があります。聖書は語ります。人間は神様によって造られたものですから、このお方の御心に的を絞った生き方をすることこそが、人間の本来の在り方に他ならないと教えます。ですから、これから外れた人生には、意味も目的もなく、全く見当はずれの人生で終わってしまうことになると、強く訴えてきます。

旧約聖書には、ヨナという神様の預言者が、神様からの命令を受けて、東の方へ行けと、命じられたのにもかかわらず、彼はそれが嫌で、船の乗って、反対の西方へと逃げて行く話が載っています。その航海中、大嵐に遭遇し、海に投げ込まれ、大魚に呑み込まれてしまいます。何かおとぎ話のような内容ですが、ヨナは奇跡的に助けられます。そこで彼が悟ったことは、的外れの生き方には祝福がなく、あるのは滅びだけだという事でした。そして、神様の計画に従って行きます。

 

「人間はどこから来て、どこへ行くのか?」少なくとも人は一生に一度はこの疑問を持ち、答えを求めるのではないでしょうか。イエス・キリストは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」、更に「わたしの証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、知っているからだ」(ヨハネ福音書8:12~14抜粋)と語られています。このように、イエス・キリストだけが、人間にとって最大の疑問に答える唯一のお方です。ですから、このお方を信じ従う時にはじめて、人生の目的に沿う、的を射抜いた人生を生きることが出来るようになるのです。聖書の事をあれこれと引用しましたが、もしあなたご自身が、人生の進むべき方角を模索しておられるなら、あなたもぜひ人生の羅針盤である聖書を手にしてみて下さい。そして、勇気を振り絞って、教会を訪ねてみてください。的を射抜いた人生へと導かれることでしょう。

近畿福音ルーテル津教会
​ 牧師:三ヶ嶋 徹

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