「数えてみよ、主の恵み」

 「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ち足らせ、鷲のような若さを新たにしてくださる。」(詩編103:2~5)

 2017年が終わろうとしています。皆さんにとって今年はどのような年だったでしょうか。まあ良かったと言える人、辛く苦しかったという人もいるでしょう。

 ところで、日本人は忘年会好きですね。もちろん新年は新年会と続くのでしょうが。忘年会は何故に持たれるのでしょうか。嫌なことは今年中にみんな忘れてしまえということでしょうか。けれどもそれはひょっとすると、良いことも、良くしてもらったことさえ、忘れてしまうことになるのではないでしょうか。ここに一つの詩を紹介します。

 

『もし神が忘れたらどうなるのだろう。

神が世界を忘れたら、たった一日でも忘れたら。

太陽を照らすのを忘れ、夜を昼にかえるのを忘れたら。

花を咲かせるのを忘れ、小鳥や蜂たちを忘れたら。

木々に新鮮な南風を吹かせるのを忘れ、雨を降らせるのを忘れたら。

人間に友情を与えるのを忘れ、子どもたちに遊び声を与えるのを忘れたら。

そして痛みを和らげるのを忘れたら、いったこの世界は、私たちはどうなるのだろう。もし神がたった一日でも忘れたとしたら。』

 

 私たちが今、こうしていられるのは、神さまが私たちに恵みをお与えくださることを、一日だって、いいえ、一瞬たりともお忘れにならなかったからに違いありません。

聖歌の604番に「数えてみよ、主の恵み」という歌があります。この<恵み>と言う言葉は、英語で<benefits>となっているところがあり、<益>と訳すことが出来ます。益と聞くと、何か打算的な意味を想像される方もいらっしゃるかも知れませんが、聖書には「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)と言う言葉があります。つまり神さまは、私たちがどのような苦しみや、悲しみを経験しようとも、信じるあなたにとってその全てを<益>、つまり喜びと感謝に変えてくださると言うのです。

 キリスト教二千年の歴史と一口に言いますが、それは迫害の歴史と言っても過言ではないでしょう。使徒たちの時代、ローマ帝国の時代も然り、彼ら弟子たちは、逃げて行く町々にあって、「イエス・キリストの救いと、神の恵み」を宣べ伝えて行ったのです。不思議なことに、彼らは迫害されればされるほど尚、喜びと感謝に満たされて伝道をして行ったと、聖書は証言しています。つまり、イエスさまを中心とした12弟子たちの小さな集団の働きは今や20億人と言われています。

日本にあって、クリスチャン人口は僅か1%と言われていますが、迎えようとする新しい年も小さなキリスト者として、私たちも神のご計画の中に共に生きて行こうではありませんか。

​                             牧師 三ケ嶋 徹

近畿福音ルーテル津教会
​ 牧師:三ヶ嶋 徹

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