「 平和をつくり出す人たちは、さいわいである」

 

 イスラエルでは、「お早よう」も「今日は」もすべて「シャローム」という言葉で挨拶を交わすそうです。聖書が書かれた時代からそうだったと言います。このシャロームという言葉は、もともと「平和」という意味で、最も美しいとされる言葉の一つです。

 さて、新約聖書の山上の説教の中でイエス様はこう言われました。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9)。このヘブライ語の「シャローム」という言葉を、ある学者は「人間の最高のしあわせをつくり出すものすべて」とも、「人間が果たす最高の役割である、人と人との間の正しい関係」とも説明しています。この説明によると、人間の理想的な関係を意味しているということになるでしょう。単に戦争や紛争のない状態というよりは、神が創造されたこの世界にあって、人類が自分や自国の益だけを求めるのではなく、他者や他国の益を求め、互いに愛をもって、共生して行こうとする、もっと積極的な内容を目指していると言えます。

イエス様は、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」の、この「平和をつくり出す」という言葉は、英語のピース・メーカーという言葉に訳されます。コーヒー・メーカーというものもありますが、平和メーカーといったものが本当にあれば最高ですね。これとは逆に、トラブル・メーカーという言葉を耳にすることがあります。あの人の行くところ行くところ、必ずトラブルが起こる、あの人はトラブル・メーカーだ、などと、もし私たちが言われるとしたら、問題ですね。

 人との平和の重要性について、同じ山上の説教の中でイエス様は、「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。」(マタイ5:23,24)とも教えておられます。これは、礼拝の場で、神への献げ物をしようとするさい、何か人間関係のトラブルを抱えているのなら、まずは、その人のところへ行って、和解をすることが言われています。私たちは、全ての人の間に平和をつくり出すよう、建徳的に生きることが求められているのです。

平和をつくり出す人となるためには、自分自身の中にまず平和がつくられていなければなりませんね。自分の内側がゴタゴタして不安でありながら、他に平和をつくり出すことが出来るはずがないからです。そのために聖書が教えていることは、神に自分の罪(他者を思わず、自己中心的な思い)を告白し、神の赦し、神との平和を確立することが求められています。「神と和らいで平安を得よ」と聖書は語ります。神との和解、これが先決です。そのために、神は、ひとり子であるイエス・キリストを、仲保者、仲介者として世にお送りくださり、十字架の死によって、この世をご自分と和解させてくださいました。この和解が成立したとき、初めて私たちの心に平和がおとずれ、そして他に平和をつくり出す幸いな人となることが出来るのではないでしょうか。

                               牧師 三ヶ嶋 徹

近畿福音ルーテル津教会
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