「十字架の彼方に」 2017年3月5日          マタイ17:1-9

 ペトロたちは、信仰告白から六日後、イエスさまの変容を目の当たりにします。モーセとエリヤが現れ、更には「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声を聞き、両者は消えました。律法と預言者は、旧約聖書全体を表します。聖書全体が主イエスを指し示す、この方こそ神の御声なのです。モーセとエリヤは、主の栄光を背後から見るのみでしたが、主は天使を従え、父なる神の栄光に輝いて再臨されるお方です。その再臨の栄光を束の間見ることを許された弟子たちは、ひれ伏し恐れますが、主は「起きなさい。恐れることはない」と、手を触れて言って下さいました。律法を授かり、その務めを負ったモーセは、その顔に人が直視出来ない主の栄光を映し出しました。私たちも律法を聞くとき、自分の罪深さを知り、主の栄光の前で恐れ、ひれ伏すしかありません。そんな私たちに主が触れて励まして下さいます。主が私たちの罪を贖って死なれ、復活された故に、私たちも主の復活の命、その栄光に与ることが約束されているのです。神さまによって信仰告白に導かれたものの、ご受難の意味も理解出来ず、主を三度も否認してしまったペトロも、主の復活の力により、殉教の死に至るまで自分の十字架を負い続けました。死期を悟った彼は、実際に主の栄光を目撃したことで、再臨の約束が確かになったと証言し、後に続く者を励ましました。私たちも再臨の主にお会いし、その栄光に与るときまで、試練の中を自分の十字架を負って歩いていきます。しかしそれは軽い軛です。十字架の彼方には、確かな栄光のゴールが約束されており、何度倒れ、恐れ慄いても、主は赦し、御手で触れて「起きなさい。恐れることはない」と言って下さるのです。

                                                                                      北山琢伝道実習生

「十字架への道」 2017年3月12日         マタイ4:18~25

 

 「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(3:17)と言われた神様が何故に、その愛する子を荒れ野に追いやったのでしょうか。愛する子であるなら、試みにあわないように、苦しい状態から救ってくださることこそ、神の愛ではないかと思うのです。「さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。」とあります。イエス様は前章の後半で、バプテスマのヨハネから洗礼をお受けになった後、悪魔の誘惑を受けるため、その身を聖霊にお委ねになりました。普通私たちは、洗礼を受けてすぐに困難に直面することや、ましてや誘惑にあうことなど、信じられないような気がします。もちろん御利益宗教的な理解を持っていないことなど当たり前のことなのですが、しかし、すぐに試みにあうのだけは、勘弁して欲しいという思いにならないでしょうか。しかしイエス様はあえてその道を選ばれたのです。神の一人子であるイエス様は、人の悲しみや苦しみを知らない方ではないのです。ヘブライ人の手紙の著者はこう語っています。「それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(ヘブライ2:17,18)。

                                  牧師 三ヶ嶋徹

「十字架への道」 2017年3月12日         マタイ4:18~25

 

 「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(3:17)と言われた神様が何故に、その愛する子を荒れ野に追いやったのでしょうか。愛する子であるなら、試みにあわないように、苦しい状態から救ってくださることこそ、神の愛ではないかと思うのです。「さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。」とあります。イエス様は前章の後半で、バプテスマのヨハネから洗礼をお受けになった後、悪魔の誘惑を受けるため、その身を聖霊にお委ねになりました。普通私たちは、洗礼を受けてすぐに困難に直面することや、ましてや誘惑にあうことなど、信じられないような気がします。もちろん御利益宗教的な理解を持っていないことなど当たり前のことなのですが、しかし、すぐに試みにあうのだけは、勘弁して欲しいという思いにならないでしょうか。しかしイエス様はあえてその道を選ばれたのです。神の一人子であるイエス様は、人の悲しみや苦しみを知らない方ではないのです。ヘブライ人の手紙の著者はこう語っています。「それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(ヘブライ2:17,18)。

                                             牧師 三ヶ嶋徹

「主が歩まれた僕の道」 2017年3月19日        マタイ20:17~28

 「人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」この告知は三度目です。ところが「十二人はこれらのことが何もわからなかった」(ルカ20:34)とあります。彼ら弟子たちにとってイエス様は師であり、3年も寝食を共にし、その奇跡を目の当たりにしてきたにも関わらず、彼らには主が三度に渡って語られてきた言葉の意味が分からなかったのは、実に霊的に無感覚であったことが分かります。それはまた、ゼベダイの息子たちの母が願う言葉にも現れていました。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」。彼女の願いは的外れでした。神の一人子が十字架の上で「多くの人の身代金として自分の命を献げるために」ただその十字架の道を歩まんとされるその時に。「この二人の兄弟のことで腹を立てた」とあるように、他の弟子たちでさえ世の栄光を求めようとする欲求しか持っていなかったのです。世の人々の罪を負ってただ一人十字架に向かわれようとするイエス様のお言葉が響きます「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」。神と等しいお方が、僕として十字架の死に至るまで従順であられたことを覚えましょう。

                                                 牧師  三ヶ嶋 徹

「永遠の命に至る道」 2017年3月26日         ヨハネ4:5~26

 誰もいるはずのない暑い日中のヤコブの井戸の傍らに、一人の女性がやって来ました。そこで問答が始まります。イエス様は永遠の命に至る水について話しをしているのに、しかしこの女性は渇くことのない、汲みに来なくてもいい水の話しをしています。人間には決して物質的なものでは癒されることのない渇きということを経験するものです。苦しんで、悲しんで、辛くどうしようもない時があります。そういう時、世の中の何をもって、この渇きを癒すことが出来るのでしょうか。イエス様はその渇きを癒す心の魂の話しをしておられます。このサマリアの女性は、過去に夫を五人代えていました。そういう彼女の生き方が、このシカルの町の人から良く思われていなかったのでしょう。つまり、誰とも会いたくないから暑い最中に水を汲みに出て来たのです。イエス様はこの女性の誰にも知られたくない事情を知っておられました。私たちも他人に対して知られたくないところがあるでしょう。でもイエス様はそう言う人に知られたくない部分や暗いところを癒すために、彼女のところに来られたのです。自分のことを言い当てられた女性は、「主よ、あなたは預言者だ」と言い、また「礼拝すべき場所はエルサレムですか」と問うています。しかし形式や場所ではなく、またさらに民族や国籍を超えて、今やイエス・キリストの十字架において、心から神を信頼し、信仰する人たちを神様は祝福してくださいます。このサマリアの女性は、イエス様の言われたことを信じ受け入れることで、明らかに内面から変えられていきました。25,26節を読みましょう。イエス様との出会いの後、町に出て行って、「この方がメシアかも知れません」と人々に告げています。誰にも会いたくない、自分のことを知られたくない、そんな女性がイエス様との出会いによって、全く変えられたとは、まことに不思議なことではないでしょうか。人は自分で自分を変えられません。しかし、イエス様であれば、神の一人子であるなら、この私をもう一度生まれ変わらせてくださいます。つまりそれは、私たちの人生はイエス様によってやり直しが効くと言うことなのです

                                 牧師 三ヶ嶋 徹

近畿福音ルーテル津教会
​ 牧師:三ヶ嶋 徹

​Copyright (C)2017 Tsu Luthern Church,

                                         All Rights Reserved.

​〒514−0822           

三重県津市南ヶ丘1−17−5

  Tel059-228-2814(fax059-228-9288)

 Email : tsu-lutheran@oboe.ocn.ne.jp