​2020年10月のメッセージ

2020.10.4「熱情の神の執拗さ」マタイ21:33~46 

 主人は、農夫たちの強欲さや、この恐ろしいやり方を知りながら、「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と大事な息子を危険な狼たちの中へ送ります。しかし農夫たちは、息子を殺せば、彼が相続するはずの財産が自分たちの手に入ると思い、息子を殺してしまうのです。これはイエス様ご自身が十字架にかかって死なれる(殺される)ことを予見して、このように語られたのです。ここには私たちには到底考えられないような主人の忍耐深さを見ることが出来ます。しかし、農夫たちは欲望に目がくらんで、ぶどう園を乗っ取る好機とばかりに、跡取り息子を殺します。神の御子イエス・キリストも、選ばれた民の手で殺されることを意味しているのです。しかしながら、農夫たちには大きな誤算がありました。それは権威を持つ主人は旅先で健在だということです。このたとえ話を聞いていた人たちは、最初、他人事として聞いていました。ですから、主イエスの問いかけに対して、この農夫たちの悪行に憤慨しています。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」メシアキリストを十字架にかける者への神の怒りが、彼らの言葉を用いて明白に記されています。殺された息子とは、主イエスご自身であり、父なる神によって復活させられるまことの救い主であります。さて、主人を無視し、息子を殺してしまうのは誰でしょうか。神さまはこの世界を創造されたときから、私たちのための必要はすべて満たして祝福してくださいました。しかし、わたしたち人間はこれを忘れて、何もかも自分達の自由になるかのように錯覚する、愚かさを持っています。        牧師 三ヶ嶋徹

 

2020.10.11「あなたは招かれました」マタイ22:1~14 

 イエス様は天の国を、王の婚宴にたとえました。王は祝宴に人々を招きます。普通は誰もが喜んで出席するところですが、人々はそれを無視し、招きに応じません。これが人々の神に対する態度です。なぜ人々は招きを拒むのでしょうか?その理由の一つは無知です。このすばらしい招きが理解できず、また信じられないのです。さらにそこに罪の力が働く。それは何よりもまず「自分のこと」を優先する力です。王の招きを断った人々はまさに自分のことで頭がいっぱいなのです。その結果、人々は王を軽んじ、招きを無視し、家来を殺してしまう。そこで王は怒り、裁きを下します。これは王が冷酷だからではなく、罪の報いなのです。

 そこで王は家来に命じ、善人も悪人も集められました。彼らはもともとふさわしくない者でしたが、婚宴に出席できた理由はただ一つ、一方的に王が招いてくださったからです。これこそ驚くべき恵みです。ところがその中に礼服を着ていない者がいました。彼は王が客のために用意した礼服を拒み、自分の服の方がふさわしいと思ったようです。ここでいう礼服とは、神があなたのために用意してくださった、「キリストの義の衣」です。それよりも自分自身の立派さを身につけて神の前に出る者は、神の目にふさわしくない者とされるのです。しかし逆に、神の国にふさわしくないような悪人であっても、この神から与えられた「キリストの義の衣」を着る者は、神の目にふさわしい者とされるのです。まさに全てが神によって与えられています。神はあなたを招かれました。どうぞこのすばらしい招きに応えてください。全ての人が神に招かれているのです。                 牧師 栗﨑 学

 

2020.10.18「分け隔ての無いキリストの愛」マタイ22:15~22 

 「ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」。申命記17:15には「必ず、あなたの神、主が選ばれる者を王としなさい。同胞の中からあなたを治める王を立て、同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない。」とあります。そこでもし、イエス様が税金を納めることを「よし、然り」と言えば、イエス様は聖書の言葉に反することになります。もしもそれに反対し「だめだ、否」と答えれば、主はローマ政府に公然と反対したことになり、ローマ政府を敵に回すことになるのです。そこで「イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。」と言われました。更に「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」そして「彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。」一デナリオン銀貨の表面には、「全ての者の王、神聖なるF・アウグストの子、T・カイザル」と刻印されていました。また貨幣には、ローマのカイザルの肖像が刻印されていました。そこでカイザル、つまり「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」カイザル、つまりローマ皇帝から受けた者は、ローマの国の為に、その一部を納めることは当然だと主は言われます。しかし、イエス様は「神のものは神に返しなさい。」と教えられ、神様からの恵みに人はどのように答えるかが問題であることを示されました。一体、私たちの世界で神がお造りならなかったものはあるのでしょうか。  すべては神様の創造の御業であり、全ては恵みとして与えられたものであるのに、神様にお返ししなくて良いものはあるのでしょうか。           牧師 三ヶ嶋 徹

 

2020.10.25「神さまからの大切な教え」マタイ22:34~40 

 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」律法には祭祀的ないましめや、倫理に関するいましめがあって、当時は戒めにも価値の上下があると考えられていました。サドカイ派の人々は祭祀的なものを重視し、ファリサイ派の人々は、倫理的なものを重視していました。イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。この言葉は、申命記6章5節に基づいています。「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」とあります。ここでは、「思いを尽くし」のかわりに「力を尽くし」と記されています。何よりも、このみ言葉には「あなたの」と言う言葉が入っています。つまり「あなたの心を尽くし、あなたの精神を尽くし、あなたの思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」が、そのもとの言葉であるということです。神さまはあなたの神さまなのです。さて次に「第二も、これと同じように重要である。」第一があれば、第二があります。しかし、第二も第一とその重みにおいて同様であって、第一と共に、これもまた聖書が人々に示す私たちの永遠の課題と言えます。『隣人を自分のように愛しなさい。』この聖書のみ言葉は、レビ記19:18からの引用で「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」より具体的な戒めとして語られています。これらの愛は全て神の愛を表す「アガペー」をもって語られています。私たち自身の内にはない、神からの愛によって互いに愛し合うのです。         牧師三ヶ嶋 徹

近畿福音ルーテル津教会
​ 牧師:三ヶ嶋 徹

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