​2020年11月の”ギフト”

献金と教会財勢      野田千鶴子

 

献金の恵み

 クリスチャンにとって、献金は「恵みのわざ」(第二コリント8:6,7)です。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。」(第一ヨハネ3:16)という大きな事実の前に、私たちは全身全霊を注ぎ出して応答すべきですが、そのことを日常生活で最もよく具体的に表わすことができるのが献金です。私たちの所有はすべて神に帰するのですから、これをお返しすることである、という考え方もあります。私たちが自分のものの中から幾分かを神のために分けてあげる、というのでなく、本来全て神のものですが、一部を除いて残りを管理するように任されている、ということなのです。

 また金銭は、人間の心を微妙に変える不思議な力があります。主イエスは、だれも二人の主に仕えることはできない、「神にも仕え、富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)と教えておられます。お金がないと人は卑屈になり、お金があると反対に高慢になります。そういう意味でも金銭に対する執着から切り離され、財を神のために有効に使うことを心がけねばなりません。

 使徒パウロは説教の中で、「主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われた。」(使徒言行録20:35)ことを引用し、彼自身もそれを実際に示す生活をしていました。献金は単なる金銭の出し入れの問題でなく、常に神とのかかわりを問われながら、そのたびに自発的に、喜んで、感謝して行う信仰の告白でもあるのです。

 

献金の種類

 教会で行う献金には、月定献金、礼拝献金、感謝献金、その他があります。

 まず月定献金ですが、これは旧約聖書の時代から行われてきた十分の一献金を起源としています。

神が私たちに託された財貨のうち、十分の九は自分の信仰と責任の下に自由に使うことが許されている、ということです。ですから十分の一をささげない人々を、神は盗人呼ばわりされました(マラキ3:8)。

 新約時代の私たちは、もちろんこういう律法には全く拘束されません。ただ一つの基準として合理性があると考えられます。というのは、もし十分の一献金をきちんとささげる十家族があれば、その教会は一家族の牧師の生計を担うことができるからです。ユダヤ人たちは、これを制度化して彼らの会堂制度を維持してきたと言われています。

 このように月定献金は教会の維持費の多くをまかないます。また月定という言葉は必ずしも月々定額ということを意味しません。収入が一定でなければその多少に応じてささげれば良いのです。それで月定献金のことを、維持献金とか月約献金と呼んでいる教派もあります。

 その他の献金は、礼拝での席上献金で、その礼拝に集えたことと、神の守りに感謝を表すものです。感謝献金は、誕生日、結婚記念日、家族の祝いごと、その他どんなことでも感謝すべき事柄について、その都度ささげるものです。

 また、一年の上半期、下半期、世間でボーナスが出る時期に合わせて、半期ごとの感謝献金をささげるのが慣例になっている教会もあります。下半期は特にクリスマスの感謝をこめていたします。

 その他、神戸ルーテル神学校維持のため、海外宣教進展のため、献身者の為の奨学金、他教会を支えるための協力金、支え愛献金など、特別な用途に向けての献金が別途に行われます。

 

教会財政

 教会は原則として自給体制をとることになっており、その教会の必要は教会員の献金によってまかなわれています。時として収支のバランスがくずれることもありますが、牧師や役員、教会員の祈りと信仰的努力によって克服され、何よりも神の御手の中に導かれていきます。

 教会会計の財源は月定献金、礼拝献金、感謝献金はじめ各種の献金ですが、支出の主なものは牧師伝道費(牧師への謝儀)、伝道費、会堂や牧師館の維持・管理費といったものです。特に、牧師、伝道師は全生活をささげて教会のために働いていますから、その生計を十分に満たすようにすることが教会のつとめです。教会の財政は収入を献金に頼るために、与えられた範囲での支出を考えるようになりがちですが、そうなると教会が活力を失ってしまいます。伝道や宣教のビジョンを実現するための必要を訴えて、逆に献金収入の増加を期待するという、信仰的取り組みも大切です。教会員はこうした挑戦に応じられるように、信仰に成長する信徒であることが望まれます。

 近畿福音ルーテル教会は今日までノルウェーの教会から多くのものを受けてきました。伝道を開始してから70年になる今、はっきりと自立し、さらに他を支える教会になる義務と責任があります。